平将門の呪いとは?首塚伝説から現代に残る都市伝説までざっくり解説!

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こんにちは😄

ascot(@アスコット2022)です😄

心霊スポットには行かないけども、心霊動画などがとても好きな方も多いはず!

心霊系とも少し違うけども「「これは別格じゃない?」という場所が、東京のド真ん中にあります。

それが、大手町のオフィス街にポツンと残る「平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)」です。

周囲を高層ビルに囲まれた一等地でありながら、「この場所に手を出すと祟りが起こる」という噂が

1000年以上も語り継がれています。

そこで今回は「平将門にまつわる呪い伝説について」ざっくり分かりやすく解説していきます!
本記事の内容
  • 平将門について
  • 首が飛んだ伝説
  • 神田明神との関係
  • 大手町にまつわる祟りのエピソード
など、歴史的な背景から現代の都市伝説までを基本的に紹介していきます。
ascot
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面白半分で訪れるのは、やめましょう!

将門塚へのお参り推奨しているわけではありません。
何かあった場合も、自己責任となります。

 

そもそも平将門とはどんな人物?

平将門は、平安時代中期に関東を舞台に活動した武将です。

事の発端は一族内の私的な争いでしたが、次第に規模が拡大し、関東の国々を次々と制圧するに至りました。

最終的には朝廷の許可なく「新皇(しんのう)」を名乗り、独自の政権樹立を宣言するという、

当時としては前例のない行動に出ています。

この動きは朝廷にとって看過できないものであり、将門は「逆賊」として討伐の対象となりました。

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その後、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と

平貞盛(たいらのさだもり)の連合軍によって討ち取られ、

乱は終結になります。

 

 

首が空を飛んだ伝説

将門が伝説的な存在として語られるようになったのは、討ち取られた後の逸話による部分が大きいと言えます。

討たれた将門の首は見せしめとして京都でさらされましたが、

3日後に白い光を放ちながら東の空へ飛んでいった、という伝説が伝わっています。

そして、その首が力尽きて落ちたとされる場所が、現在の東京・大手町です。

【もう少し詳しく解説!】
平安時代中期の武将・平将門(903〜940)が関東で反乱を起こし、京から送られた平貞盛と藤原秀郷の連合軍に挑むも討ち死になる。
将門の首は京の七条河原に晒されたが、何カ月経っても腐らず、目を見開き、歯ぎしりをしているようだったと言い継がれている。
さらに「俺の胴はどこだ」と自分の胴を求めて東のほうへ飛んで行き、
その首が力尽きて落下したところが「将門塚」であり、東京都の大手町にある「将門の首塚」にあたる。
ちなみに、終焉の地は現在の茨城県坂東市と言われていおり、坂東市には胴を祀った「胴塚」がある。
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当時は武蔵国豊島郡「芝崎村」と呼ばれおり、

村人たちが塚を築いて将門の霊を弔ったのが、将門塚の起源とされています。
(諸説あり)

 

 

神田明神と将門の関係

塚が築かれてからおよそ360年後、荒れ果てた首塚の周辺では天変地異や疫病が相次いだと伝えられています。

人々はこれを将門の祟りと恐れ、時宗の僧・真教上人が鎮魂の儀式を行ったという記録が残っています。

千代田区にある神田明神も、この一件と深く関わりを持つ神社です。

もともとは別の神を祀っていましたが、将門の祟りとされる疫病を鎮めるために、

将門を合祀するようになったという経緯があります。

ascot
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江戸時代には徳川幕府から「江戸の守り神」として重んじられており、

単なる怪異譚にとどまらない、

歴史的・政治的な意味合いも含んでいる点が興味深いところです。

 

 

大手町に伝わる祟りのエピソード

将門塚にまつわる祟りの噂として特に知られているのが、次の2つの出来事です。

  • 関東大震災後(大正〜昭和期)、
    1923年(大正12年)の関東大震災後、大蔵省が仮庁舎を建てるために首塚を取り壊した際、
    早速整爾大蔵大臣や工事部長らが相次いで急死。
    その後の1940年(昭和15年)、落雷で大蔵省庁舎が焼失するなどの火災。
  • 終戦後、GHQが首塚をブルドーザーで整地しようとしたところ、事故が発生し死傷者が出る。

いずれも偶然と片付けることもできる出来事ですが、こうした記録が残っていることが、

この場所が今なお特別視される理由の一つになっています。

また、国税局のHPにも将門の呪いについては記載されています。

▶︎国税局HP:「大手町の首塚
ascot
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現在でも、周辺のオフィスでは「首塚にお尻を向けて机を配置しない」という

配慮がなされていると言われており、

大手町で働く人々の間では半ば常識として認識されているようです。

助手
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現在では、かなり綺麗に整備されましたが、

以前は少し怖さも健在です。

 

 

日本三大怨霊としての将門

将門は、崇徳天皇(すとくてんのう)・菅原道真(すがわらのみちざね)と並んで

「日本三大怨霊」の一人に数えられています。

3人とも非業の死を遂げ、その後「祟る存在」として恐れられた点が共通しています。

興味深いのは、菅原道真が現在では学問の神として、崇徳天皇もスポーツの神として親しまれているのに対し、

将門だけは現代においても「祟る場所」として扱われ続けている点です。

ascot
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都心の一等地に、1000年以上手つかずの空間が残されているという事実自体が、

極めて異例だと言えます。
(現在は、以前よりもお参りする方が多く、綺麗に整備されています)

助手
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YouTubeチャンネル「ゾゾゾ」の2回目の時点で、内田くんが参拝しています。

▶︎インスタ映え心霊写真撮れた!! ガチでビビったので除霊グッズ使ってみた!

 

ゾゾゾとは、心霊スポットや恐怖ゾーンといった日本全国のゾゾゾスポットをレポートして、ホラーポータルサイトを作るという壮大な目標を掲げたホラーエンタテイメント番組です。(引用:YouTube)
▶︎ゾゾゾYouTube
▶︎ゾゾゾHP ▶︎ゾゾゾ@X ▶︎ゾゾゾ@Instagram

 


 

 

まとめ

将門の呪いが事実かどうかを証明することはできません。

しかし、はっきりしているのは次の2点です。

  • 敗者であった将門が、時代とともに「怨霊」から「守り神」へと評価を変えてきたこと
  • その象徴である首塚が、1000年以上にわたって大切に扱われ続けてきたこと

事故や不幸な出来事が偶然重なっただけという見方もできますが、

それだけ人々が将門という存在を強く意識し続けてきたことの表れとも言えます。

平将門の呪い伝説は、単なる怖い話にとどまらず、「敗者が神として祀られる」という日本人の怨霊信仰や、

歴史の評価が時代とともに変化していく過程を示す興味深い事例でもあります。

ascot
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東京を訪れる機会があれば、

ビル群の谷間に静かに佇む将門塚に立ち寄ってみるのもいいですが、

参拝の際は、写真撮影やマナーに十分配慮してください。

助手
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また、パワースポットとも言われており、

ビジネスマンはお正月に挨拶を行う方も多い場所でもあります!

将門塚へのお参り推奨しているわけではありません。
何かあった場合も、自己責任となります。

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